my dad's medal

父がメダルを見せてくれた。

なんかずっしりと重いんですけど。

どうも去年の終わりくらいにもらったらしい。

いきなり会長さんが家に来て、メダルをくれたらしい。笑笑

メダル授与なので、ついでに5人くらい引き連れてきたらしい。www

どうもその時に、ほかのメダルの候補にも推薦してもいいか?との打診があったらしいが

断ったと言っていた。

いかにも父らしい。

私と母は「くれるんならもらっておけば?」派だが、父は名誉など全くいらない人だ。

本当に心からそう思っているから娘の私もびっくりする。


この後、母と夕食を何にするかを話をしていたらこんなことを言っていた。

お父さんはなんでも食べる。食べ物に文句を言ったことはない。

ずっと母一人子一人で戦後を過ごしたから、食べ物にあまり執着がない。

いつもどうやったら貧乏な暮らしを抜けられるかだけ考えて生きてきた人だと。


父がそうやって育ったのは知っていたが、どうやったら貧乏を抜けられるかだけを考えて生きてきたというのは初めて聞いた。

というのも、私は何不自由なく育ってきたのでそんなことを思いもしなかったしね。

いつまでそうやって生きてきたの?と聞くと、多分25歳くらいまではそうだったと思うと言っていた。

高校を出て、看護師になるべく学校に入った父。

その頃の看護学校は寄宿舎制で、食事も寮費も学費も無料だったそうだ。

学費が無料なのは戦後その分野の資格所有者が不足していて、国の政策か何かだったらしい。


寮生活の3年間、父の母の生活を助けたのは当時婚約者である母だったらしい。

月一回、自分のお給料の中からいくらかを渡していたんだそうだ。

菓子箱一つ持って、汽車に乗って、会いに行く。

父の母はその菓子を自分で食べずに、いつも世話になっている人へ届けていたらしいが。笑笑


その話を聞いて私が言う。

普通、息子の婚約者からお小遣いもらわないよね?

すると父が、そんなきれいごとを言っていられるような状態じゃなかったのさ。と言っていた。


より良い生活、よりよい仕事をする為に、細々と暮らしている母を残して3年間の寮生活を決断した父の気持ちを私はあえて聞かなかった。

看護学校に入る前の仕事場を退職した際にもらった退職金をすべてを母に託した父。

その総額を3年間で割ると月700円。

父は母に毎月700円を自分に送金してくれと言い、寮生活に突入したらしい。自分が持っていると使ってしまうからと。

そして母は毎月700円の送金と(送料は母が負担大笑)お菓子や食べ物を一箱送ってあげるプラス、父の母を月1回訪ねて行く生活をスタートさせた。

当時の母のお給料は6000円。その頃の6000円で何が買えたのかはわからないけど、楽ではなかったらしい。


そんな話を聞いていて。。。。思った。

父がこれ以上のメダルをもらわないと意思表示したのはいいが、もしこれから先もう一度メダルをもらうチャンスがあるのなら、母のためにもらうのもアリなんじゃないかと。

メダルは父の功績だけれども、メダルを父にもらってほしい母のためにもらうのも悪くないんじゃないかと。


私が寝室に引っ込むと、父が母に話している声が聞こえた。

「当時は世話になったね。ありがとう」

母がなんと返事をしたのかは。。。。。聞こえなかった。笑

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