劇場で ’minari'鑑賞
今ひそかにアメリカでアカデミー有力候補のminari 見てきたんだけど。。。
https://gaga.ne.jp/minari/
見終わった時は、特に何も思わなかったのだけど、何日もこの映画のことを考え続けている感じ?
あのね~www 自分の過去とかぶるわ。この映画。
だからもしそれが嫌な思い出であれば嫌な映画だろうし、自分の過去がいい思い出であればいい映画なのかもしれない。
時は1980年代。
韓国人家族がアメリカに渡って生きようとするさまが描かれている。
2時間の映画を一行で説明するとこうなる。😅😅😅
私が渡米したのは1991年。だから1980年代を知っているかと言われれば、知っているようで知っていないと言うのが正しい。
1980年代の流れは確実に私が渡米したころまだあったであろうし、実際に旅行で1980年代にアメリカにも行っている。
映画の中でmountain dewの2リッターボトルがペットボトルではなく瓶だったのには目がロックオンされた。
何回か出てくるんだよね。瓶を開ける場面が。なんだろう?わざわざそこを強調してる感じ?スポンサーなのかな?ちょっとそこはわからないけど、瓶のmountain dew見たらいろいろ思い出して泣きたくなった。
映画の主人公の旦那さんの身勝手さが、前の主人を思わせるし🤣🤣🤣🤣🤣🤣映画のようなモービルホームに住んでたことだってある。
ちなみに私が住んでいたところでは、モービルホームは貧乏の象徴みたいには扱われていなかった。
cheap madeではあるけれど、逆に建てるのに安いし、広いし、それが当たり前の場所では当たり前の家だった。
でもやはり家に車輪がついているというのは、それがあたりまえでない文化圏から来た人にとっては衝撃的だろうとは思う。
実際、わたしだって衝撃的だったしね。でもそんな環境にはすぐ慣れる。
もちろんトルネード(竜巻)が結構ある地域では、モービルホームよりちゃんとした家の方がいいけどね。(日本の自然災害が地震であるように、アメリカではトルネードが普通にある自然災害)
なぜ家に車輪がついているかというと、工場で車輪の土台の上に家を組み立てて、それをそのまま運んでくるから。
引っ越したくなったらまた自分の家を別の土地に運んでいけばいい。
(ただもう一度運ぶとあちこちが壊れるらしいけどね笑)
まあそんなことはどうでもいい。
この映画が自分と被るのは、結局アメリカは移民で作られた国だという事だからかな。
私だって、そうだった。
アメリカに根を張るために必死で生きた。だから映画の中の奥さんは、自分そのものだった。
自分で選んでアメリカに来た。確かに自分の選択だった。誰も責められない。
でもこんなはずじゃなかったと思う。そんな中で、子供も生まれた。育てなければいけない。
英語もわからない。わからないなりに生きていかなければならない。自然なんて好きじゃない。町の方が田舎よりも好きなのに、なぜこんなところに住まなければいけないのか?人生の意義は何なんだろう?こんなことをして生きて行かないといけないのか?結婚なんてこんなものなのか?教会?そうだ教会に行ってみよう。そこには何かがあるのかもしれない。。。。。
全部自分と被るよね。だから映画が終わった後は、何も言えなかった。
主人と映画を見に行くと、たいていあーだこーだ感想を言いながらご飯を食べるのが常だが、なんだか何も言えなかった。
主人も10年アメリカに住んだが、この時代のアメリカを主人は知らない。
それでも、映画の中の教会のあり方を見て、思い出すことはたくさんあったという。
ネタバレになるからあまり書かないけど、アメリカって移民の国だから、多分ものすごく多くの人が私もように、そして主人公のようになんとかしてアメリカで生きて行こうともがいているその姿に自分を重ねるんだと思う。
それが農業で生きて行こうとする人、ほかの仕事で生きて行こうとする人、方法はいろいろあるだろうけど、よりよい生活や自由を求めてたどり着いた目的地がアメリカであり、この映画はそれを私たちに見せてくれたんだなあと思う。
すごく淡々としている映画で、その静けさの中に自分を重ねられる人は重ねられると思う。すごく自分が急激に過去に引き戻されて行ったのを感じるから。
ただアメリカを知らない日本人が見たらどう思うのかは、私にはわからない。
もしかしたら淡々としすぎていて、全く面白くないのかもしれない。
絶対的にアメリカうけする映画であり、アカデミーの候補になるのもすごくよくわかる。
自分は元をたどれば移民だった。アメリカはそうやって作られた国だ。結局そういう事だ。
アジアンヘイトが横行する中、この映画がアカデミーがとれるかどうか、注目したい。
アジアンヘイトについては、次回書こうと思う。
書きたいことが、山ほどあるさ。
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