ending note
先日、教会で行われた終活セミナーに参加してきた。
常識として知っていることもあるけれど、知らないこともあったので
とても興味深い時間であった。
教会で行われているので、クリスチャンのお葬式を専門としている名古屋のさいわい企画さん
に来ていただいてセミナーをしていただいたのだが、クリスチャンでもクリスチャンじゃなくても、参加OKというので、数名のノンクリスチャンの方も参加。
誰でも必ずいつかは迎える「死」について、そして葬儀についてみんな真剣に耳を傾ける。
そしてキリスト教葬儀の意味と目的には次のようなものがあるということを学ぶ。
1 神(創造主)に祈り礼拝する時である
2 遺族への慰めと励ましの時である
3 個人への愛と敬意を表す時である
そうか!お葬式というのは、礼拝する時でもあるんだな!と再認識。
クリスチャンにとって死はすべての終わりではなく、天国への入り口なのでそこに希望があるよね。
以前、忘れられないお葬式に参列したことがある。女性だったがものすごく低音の声で歌われる方で、苦しみのような呻きのような歌声から始まって、最後には真逆のアップテンポのイケイケでフェスのように終わった葬儀であったが、そう、クリスチャンの葬儀は悲しみで終わらない。希望しかないのだ!いつの日か私が死んだら、涙ではなく喜びの笑顔でみんなに葬儀場を後にしてもらいたいと思ったっけ。
また、この終活セミナーでは生まれて初めてエンディングノートというものをいただいた。
よく聞くエンディングノートとはこれか!という一種の感動を覚える。😁
延命治療は?臓器提供は?献体は?などという質問から始まって、葬儀はどのように行いたいか?どんな花を飾ってほしいか?賛美歌は?墓地、埋葬は?という質問が続く。
多分、もっと違うタイプのエンディングノートなら、金融資産、暗証番号、サブスクリプションリストと暗証番号、メルアドなど、ありとあらゆることが記入できるようになっているのだと思う。
よくドラマで故人の携帯の暗証番号がわからず、火葬前の故人の指をつまんで指紋を借りて携帯をアンロックするとか、故人の目をひらいてアンロックするとか、という笑えないシーンに出くわすことがあるが、そうならないためにもエンディングノートは必須だなと思った瞬間であった。
ただ、病気や何かで余命宣告されているわけでもないので、なかなかエンディングノートを「書く」に至らないという現実がある。死なぞいつ来るかわからないものであるから、用意しておけばいいようなものの、なかなかどうして書く気になれない。
みんなでワイワイ「エンディングノート書き会」でもあればいいな。ふふふ。
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