the funeral
3週間前に豊田から秋田まで車で帰省した。
持ってくるものがあるから運転はしょうがない選択だったが、今回は違う。
ただ単に往復6万円弱を飛行機に費やしたくなかった。ただそれだけ。
飛行機はきちんと予定がわかっていれば何か月も前から安く購入できるが、
今回のようにお葬式など、急に飛行機に乗りたい時が一番高い。
株主優待チケットでも往復4万円だった今回。
あきらめて再度車で移動することにした。
10時間で到着。母は通夜に出席中で留守。
父がご飯を炊いて、箸をテーブルにセットして私の帰宅を待っていた。笑
こんなこともあろうかと、途中のSAで押し寿司やら、練り物やらを買って帰ってよかった。
10時間ドライブの後に、料理をする気にはなれないから。
叔父のお葬式に出ないという選択肢もあった。
でも、叔父の為とかその家族の為というよりは、自分の両親のために帰った。
運転手になろうと決めて帰ったわけで。
実際帰ってよかったと思ったのは、通夜に出るために私の母を送り迎えをしてくれた従妹を見たときだった。
自分の父親が亡くなったのに、私の母の送り迎えを片道1時間かけてやってくれた。
たくさん葬儀の事でやることもあるだろうし、それでなくてもつかれているだろうに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
秋田では火葬を先にして、それから通夜がある。
関東に住んでいる親戚たちは、火葬には間に合わなかったものの、通夜には間に合ったと聞いた。
私の関東在住のいとこがどうもガンで治療中らしく、それでもひとまず落ち着いたので、今だったら秋田の叔父のお見舞いに行けるという事で電話をしたら、ちょうど息を引き取った瞬間だったらしい。
お見舞いに来るはずが、お葬式の参列になってしまった。
去年、母の5人兄妹の一番上の姉が亡くなった際、数十年ぶりに従妹たちと顔をあわせた。
今回は一番上の兄だから、これで兄妹の上二人が亡くなったことになる。
従妹、親戚とは一年ぶりに会ったわけだが、中には30年以上会っていない方とも挨拶を交わした。
親戚付き合いは、まあアメリカにいたせいもあり、してこなかったが、それでもなぜか会えてうれしいと思う。
この人たちが自分と血がつながっているのだと思うと、なんか妙でもあり、うれしくもある。
特に女性陣は下は2歳くらいから80過ぎまでいるが、やはり皆秋田美人だ。
そんなところに感心する。
葬儀が終わり、その後食事があった。
びっくりするほどのごちそうに囲まれ、自分の出した香典にちょっと後悔してみたり。
あいにくお腹が空いておらず、あまり食べられなかったが、どれもこれも美味だ。
さすが秋田の食はうまいとまた少し変なところで感心する。
亡くなった叔父とはそんなに親しかったわけではない。
ただ従妹の中で、私が一番叔父の病床を見舞っているのは確かだ。
もちろん、母の運転手としてついて行っているだけなのだが。。。。
だから葬儀の時に泣くとか、そういうのはなかったのだけれど、一番苦労したであろう従妹と話した時に泣けてきた。
最後まで頑張ったね。本当にご苦労様でした!と声をかけた私に彼女は、両親に何かあったらすぐ私に知らせなさい。私が一番近い親戚なのだからと言ってくれた。
そしたらなんだか泣けてきて、最短で10時間あれば夜中であっても秋田に来れるから、10時間だけうちの親を世話してくださいとお願いしてきた。
次は私だ。。。。という母に、親戚中が声をそろえて そんなことはないという。
でも、年齢でいったらあながち嘘ではないし、その時は遅かれ早かれ来る。
生徒さんとのレッスンで、こんな話をした。
私たちの人生の中で、あるときは人が亡くなり、あるときは赤ちゃんが誕生する。
きっと神様はそういうことがあるたびに、私たちに考える機会を与えてくれているのだと思う。
生まれるとは何か?死ぬとは何か?という事を。
答えを持っていないのであれば、探さなければいけない。
そして答えを知っているのであれば。。。。。伝えなければいけない。
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