ニューヨーカーの日本旅行 kimonoで写真撮影
アメリカで娘たちが結婚式を挙げたのはいいんだけど、なんか打掛も着せてあげたいと思ったのは
日本人の親心か?w
という私はというと、打掛など着たこともないぞ。
私の母に聞いたら、母も着たことがないらしい。
それなのに、私たちはハーフの子とアメリカ人の旦那さんに打掛、はかまで
写真を撮らせようとしているわけで。。。
しかも家族の中で初ってどうよw
あまりよく知らなかったけど、最近は写真だけの結婚式というのがあるらしい。
どこの写真館でもやっている。
ウェディングドレスの方が安い。打掛の方が高い。
高いと言っても、打掛を3着くらい選んで、実際に着てみて、撮影料とヘアメイク込みのお値段。
平均するとどこの写真館に行っても10万くらい。
さて、撮影当日。
袴は何も選ぶモノがないので、旦那さんと私と母は比較的ゆっくり。
娘はまずパンフレットから打掛を3着選んで、それを羽織ってみる。
鶴ってやっぱり伝統的よね。
なんだ?この白と黄色の打掛は!!!笑
当たり前のように赤い打掛を選んで、ヘアメイクして、撮影して。。。
全部で5時間くらいかかったかな?
その後、写真を選ぶ作業をして終了。
スキンヘッドの袴も悪くなかった。ってか似合ってた。w
この日が日本旅行最終日。
写真撮影に行かなかった父は、首を長くして私たちの帰りを待っていた。
娘のヘアメイクに使った髪を ’盛る’ 為の毛束を、旦那さんのスキンヘッドに
のせたり、自分の頭にのせたりして大笑いしていた。
脳梗塞になる前はそこそこ話せていた英語も、今では口から出てこなくなってしまった。
話していることはわかるみたいだけど、通訳に駆り出される機会が多かった。
でもその代り、娘が日本語で頑張っていたかな?
大笑いする父も、日本語を話そうとトライしている娘も初めて見た。
何が一番日本で楽しかったか?と聞かれて、私は二人が富士山登山と答えると思っていたのだけど、
違ったらしい。
確かに富士山は、達成感はあった。でも、一番の思い出にはならないんだそうだ。
じゃあ、なに?と聞くと、家族と会えたことだと。
それを娘が言うのならともかく、旦那さんの口からでたのを聞いたときに泣きそうになった。
秋田駅のホームで、娘たちは新幹線に乗り、私と母はプラットホームでお見送り。
もう話ができないので、ラインでやり取り。
母がボソッと 「もう会えないかもしれない。これが最後かもしれない」といって泣いた。
それを見て、娘が新幹線の中から笑っている。
その時の会話w
すぐ戻ってくるヨ 心配しないで
すぐ???笑
うん、数年でね。最高で3年かな?
それってすぐじゃないじゃん!!!笑
泣きながらテキストメッセージをやり取りして、それを見て娘も旦那さんも
私も母もみんなで泣く。
そして新幹線は行ってしまった。
家で留守番している父は、一気にみんなが出て行ってしまって寂しかったことだろう。
もう会えないかもしれないとも思ったと思うし。
数年前までは、こんな事思ったこともなかった。でも現実だよね。
自分がアメリカに行って、娘と会って帰国する分にはあまり寂しいとは思わない。
多分それはアメリカを出国するときに、帰国するという大仕事が残っているからだと思う。
でも、娘が日本からいなくなってしまうと言うのは、寂しさしか残らない。
自分一人がおいていかれてしまったような寂しさだからなんだなあ。きっと。
で、それを私は在米期間中、何十回と親にしてきたんだなと思ったら、申し訳なくてね。。
自分が親になって初めてわかることがある。
いつの日か、娘もこう言う風な寂しさを感じる時が来るのかもしれない。
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